伍章 外国でも七転八倒

不誠実なイタリア人

ある年の秋、イタリアのマジックのイベントに知り合いのマジシャンがゲストとして招待され、「一緒に遊びに行かない?」と誘われていた。前年行った人から様子を聞くと非常に面白そうなイベントだったので行くことにした。そしてコンテストもあるというので、どうせ行くなら、ということで出場も決めた。しかし、残念ながら結果は不備に終わる。

ところが、年が明けて早々、突然自宅にそのイベントの主催者から電話がかかってきた。今年もまた同じイベントを行うので、ゲストとして招待したいという内容だった。これを聞いて、勿論筆者は喜んだ。当時はまだ全くのアマチュアで、そんな機会は滅多になかったからだ。が、今一つ釈然としなかった。例のコンテストの演技は決して最上と言えるものではなかった。卑下するのではなく、客観的に当時の状況を鑑みてそう思うのだ。そして自分は入賞さえしなかった。その上この申し出は如何にも「出し抜け」だ。今後演技が良くなるという可能性を踏まえてくれたのだとしても、相手とはそう親しい間柄でもない。余りにも安易過ぎる。何か不安を感じたので、この人物と親しい人にこの旨を告げ、どうしたものかと相談した。間に入って仲介役をしてもらいたいという想いもあったのだと思う。しかし、「チャンスなのだから生かせばいい」と、ごく気楽な返事が返ってきただけだった。

その年の夏に、世界中のマジシャンが集まる大きなイベントがヨーロッパで開催されることになっていた。コンテストがメインのイベントと言っても過言ではなく、百組以上が出場する。観客も含めた参加者は二千人を超え、即ち二十人に一人がコンテスタントという状況になる。筆者もここに出場することにしてあったのだが、イタリアのイベント主催者にはそのコンテストの演技を見てからもう一度オファーをくれるように伝えた。
その手紙に対して明確な返事はなかったが、代わりに妙な電話が続くことになる。初めはそのイベントの前売りの枠が余っているから、買わないか、という用件だった。前売りの方が多少安くなるので、この件はお願いすることにしたのだが、電話を切ってからものの数分後、また同じ人物がベルを鳴らした。その前売り枠を、筆者とその人物の共通の知人にも薦めてあげたら喜んでくれるだろうか、と訊いてくる。アホか、そんな事本人に訊けよ、と呆れ返ると同時に不気味に思った。彼らに直接訊けばいいじゃない、と、当たり障りなく話すと、「君の意見が訊きたい」と、また妙な事を言う。「まー喜ぶんじゃないですか」と、やはり当たり障りなく答え、この件はこれで終わった。

が、数日も置かずにその人からの電話が続く。用件らしき用件はあるのだが、非常に他愛無い内容で、ご近所ならともかくイタリアからわざわざ国際電話を掛けてくる程のモノでもない。大体、筆者は電話で話すのが好きではなく、友人とさえ長電話は滅多にしない。それを、気心の知れないイタリア人と英語で話すのだ。嫌悪すべき、とは言わないまでも、心の踊るような出来事とは言い難い。共通の知人から聞いたところによると、確かに相手は無闇な電話好きで、FAXを送った直後に「FAXを送ったが届いたか」と意味のないコールをしてくるような輩だという。それならそれで、警戒し過ぎることもないだろうと思ったのだが。

ある日、食事を作っている最中にベルがなった。茹で上がったばかりのパスタを処理するところだったので、自分の食事を優先し、その場は受話器を取らずにやり過ごした。余り時間を置かず二度目にかかってきた時も、風呂に入っているか何かで出られなかった。その後も続けて三回程かかってきただろうか。ひょっとしてあのイタ公かと思い、もしそうならますます出る気は失せた。しかし、かなりしつこく何度も何度もかかってくる。両親や兄弟なら幾ら緊急事態でも、いないとわかればそうしつこくしない。相手が誰かという確信は深まり、憂鬱になったが、一体いつまで続くかわかったものではない。嫌々受話器を取ると、ビンゴ。

ありきたりの挨拶の後「君の声に元気がない」と言う。そりゃそうだ。迷惑電話でげんなりしているのだから。そしてこの回においては、いつも取って付けたように話すくだらない用件らしきものさえ見出せなかったので、一体何の用事なのかと問うてみた。その答えは「ちょっと挨拶したかっただけ」。果たして「ちょっと挨拶したいだけ」の者が、あれ程しつこくリダイヤルし続けるものだろうか?イタリア男の常識は知らないが、少なくとも筆者自身の常識に照らしてみれば、この行為は「異常」だ。しかし、そういった微妙な内容を英語で説明出来る程筆者は英語が得意ではない。用事がないなら余り電話はしてくれるなという事をやんわりと告げ、電話を切った。

さて、夏のイベントでのこと。イベント初日、例のイタリア人が「いい知らせがある」と言ってきた。イタリアのイベントへの筆者の出演が決まったと言うのだ。人の話を理解出来ていないことこの上ない。こちらはコンテストの演技を見て決めろと伝えたのだ。そのコンテストはまだ始まってもいない。が、自分自身では前年よりはかなり良い出来に仕上がっている自信があったので、それはそれで受けることにした。そしてこの場で出演料のオファーまでなされた。しかし契約書の類は交わされなかった。これが後に仇となる。

ところで、このイベントの会期中の後半から、突然、この男の態度が豹変する。明らかに筆者を避けている風なのだ。筆者自身はこの男のように自意識過剰に陥る程自分に自信を持っているワケでもない。ただ、自分が不当な扱いを受ければ敏感に感じ取るだけのことだ。思い過ごしではなく、確かに妙だった。理由はわからない。が、後日、知人を通して変な事を訊かれた。「彼のことが嫌いなのか」。「別に嫌いではない。彼の方が私を避けているのではないか?」というと、「彼はあなたが彼のことを避けていると言っている」。冗談じゃない。言い掛かりもいいところだ。幾ら迷惑電話を受けたとはいえ、それを根に持って避けて回るというような子供じみた事をやらかした覚えはない。もっとも、何かしら負い目がある先方が、そのように感じたとしても不思議はないが。そしてそれを事実だと確かめもせず、筆者に更なる不快な思いをさせたのは彼の方だ。手前勝手な解釈にも程がある。

帰国後、イタリアのイベントまで一ヶ月と迫った頃、そろそろ飛行機の予約もしなければならないので、スタッフの一人との個人的なメールのやり取りのついでに、確認のつもりで未だ何も連絡がないが契約が有効なのかどうか訊いてみた。その返事の内容と、先方の対応に、筆者は酷く傷つけられた。なんと「予算の都合で招待出来なくなった」という。

莫迦も休み休み言え。

招待しようと言い出したのは先方で、筆者の方から出演させてくれと懇願したワケではない。年明け時点で返事を保留しておいたものが、夏の初めに確定した。それがほんのひと月前に、言い出した側の都合で覆るというその不躾さは何だ。そして、それだけ失礼な事をしておきながら、招待者本人からの事情の説明や謝罪は一切なかった。

高々十万円程度の出費がなんとかならなかったとは思えない。「予算の都合」というのは多分真実ではなく、知名度が低いなどの理由で筆者の出演に関して何かしらの横槍が入ったものと推測する。
 相手は筆者の電話番号もメールアドレスも住所も知っている。誠意を見せたいと思うなら、これらの通信手段でもって対応出来たハズだ。それがないという事は誠意がまるでないか、こちらのことを誠意を見せるに足らない存在と侮っているか、あるいは悪い事をしたとも思っていないか。思いたくはないが、最後者の可能性が強い。

契約の無効を知らせてきたスタッフの女性は「人生はいろいろある、これはビジネスだ、怒ってはいけない、彼は来年も可能性はあると言っている」などと安穏な事を言ってなだめすかそうとした。しかし、こんな杜撰なやり取りをビジネスと呼ぶのなら、そんなものに関わりたくなどない。それにマジックは筆者の一部ではあるが全てではない。イタリアのイベントに招待される事は名誉ではあり、それによって別の機会が開ける可能性は大いにある。しかし、人としてまともな対応が出来ないような輩に組してまで得たい名誉ではないし、捨てるに値する機会でしかない。来年なら呼んでやるよ、と、その高飛車な物言いは、そういった名誉よりも、自分の信条を貫きたい類の人間が存在する事を知らないが故の浅はかさのなせる技だろう。

この事件のほとぼりが冷めた頃、人に薦められてアジアで行われたコンテストに出場した。この時件のイタリア人も来ていて、知人を通して翌年のイタリアのイベント出演の件について話をしたいと申し出てきた。そんな申し出をする前に、前回の件に関しての弁明と、謝罪と、まずやる事があるだろう、それをせずしていきなり、しかもまたもや「他人を介在して」出演の依頼とは。その自分勝手な申し出に呆れ返ったが、そもそも向こうから話をしたいと言い出したのはこれが初めての事だった。今更何を言われようと申し出を受ける気はなかったが、言い分を聞かずにシカトを決め込むのは余りにも大人気ない。話だけは聞くつもりだった。が、その日はコンテスト出場の前日だった。悔しさに余りある過去を思い出して、そういった話で精神が激昂するのは目に見えていた。話をするのはコンテストが終わってからにしてくれと知人に申し伝えたが、その知人は妙な事を口走った。

「本当はコンテストの前の方がいいんだけどね。その方がフェアだ。」

そのイタリア人は審査結果に対してかなり影響力を持っている人物だった。話の内容によっては手心を加えるとでも言うのだろうか。それとも、実際よりも低い評価にするのを止めて、正当な評価を提示するという事だろうか。自分の所のイベントに呼ぶ人物には薄っぺらでも何かしら箔が付いていた方がいいに違いないから。

さて、勢い込んで話を持ってきた割には、その知人にコンテスト後に会いに行ったら、妙に歯切れが悪かった。その話はもうどうでもいい事になってしまったらしい。煙のように消えてなくなってしまったようだ。

こういった世界に縁のない人には、何ゆえ筆者がそれ程までに怒り震えたのか、何に対して怒っているのか、わからないかもしれない。言葉に尽くしても伝わらないのだろうが、筆者は天国から地獄に叩き落されたのだ。自分の手落ちならば仕方なかったと受け入れられるだろう。だが、相手の勝手な都合だけに振り回され、そしてそれによって受けた精神的打撃は相当なものであった。正攻法で守ってくれるものは何もなく、怒りのやり場であるべき相手は悪かったとさえ思っていない。事の経緯を思い出しては悔しさで涙がにじみ、仕事がまるで手につかない。そんな状況が何ヶ月も続いた。その間に愚痴を聞いてくれた友人に「あなたは相手が許してと言ってきたら許せますか?」と問われたが、悪かったと思ってもいない相手の一体何を許すというのだろう?あの時点で「予算の都合で呼べなくなった」など勝手な事甚だしい。が、そうしなければならなかった理由を正直に話してくれれば、ある程度は受け入れられたかもしれない。将来また出演を申し出る気があったなら尚更そうすべきだっただろう。この程度のやり取りが出来なくて、何がビジネスだ。人を舐めるにも程がある。

この事件はイタリア人の国民性によるものだろう、という人もたくさんいて、ある程度これは当たっているのかもしれない。イタリアで見聞きした彼らの行動パターンから、時間や約束へのルーズさが著実に見て取れたからだ。しかし、それは愛すべきルーズさであり、許される範囲のルーズさだった。同時にイタリア人は親切な国民だというステレオタイプをよく耳にする。が、人に道を訊かれるとよく知らないのに親切に見られたくて適当に教えてしまうという、冗談とも本当とも取れるような話を聞いたこともある。結果的に、間違った情報を与えられた相手は、道に迷って迷惑を蒙るかもしれない。「親切に見られたい」という自己満足のために、相手に迷惑を掛ける事を「悪いとは思わない」からこそ出来る所業だろう。もしこれが本当にイタリア人の体を表わす典型的な話なのならば、筆者を地獄に突き落とした相手の行動について、別の方向からも説明出来そうだ。

「親切ぶるために不確実な約束を嘯いた」→「約束は果たされず、相手はそれを悪いと思いもしなかった、何故なら親切な行為をしたと思い込んだ時点で彼の行動は既に自己完結していたから、その約束は必ずしも遂行する必要はなかったからだ」