弐章 マジックよりフシギ過ぎる我が生活

なんとか生きてる

マジシャンとして大活躍しているワケでもない筆者は、果たして他に仕事を持っているのか?如何にして生き延びているのか?コレはしばしば他人から訊かれることではあるが、実の所本人ですらその疑問に対して謎を抱えたままここ数年生きているのである。

別にマジックを心のそこから愛していて「マジックのためなら死んでもいい!」とか思っているワケでもなく、ましてや「マジシャンとして大活躍したい!」などと切望しているワケでもない。ただ、自分が今携えているたった一つの作品だけを、出来る限り多く人目に晒し続けて行きたいとは考えていて、そのためにはかなりの労力・時間・お金をかけて四苦八苦してはいるのだが、なかなか上手くは運ばない。そしてそんな事にかまけていると、結局普通の社会人(=勤め人)として生きるのは難しい。そんなこんなでなんだか中途半端な状態でずるずるずるずるとマジックを引きずりつつ、時には「お前にさえ出会わなければ」と恨みがましく思いつつ、暮らしているのだ。食うための仕事にもならないものに無駄にエネルギーを注ぎ過ぎるゆえ、まともな仕事につくことも出来ず、人生食われている感じでなんだか本末転倒っぽい。

実は最長で一年半、派遣社員として働いていたこともあった。受け持ちの仕事さえ期日までに片付けることさえ出来るのなら、後は勝手に時間を融通して幾らでも休みを取って構わないという、普通には有り得ない条件で契約していたのである。しかし、ある時遂に契約終了が告げられた。筆者のポジションにはもはや殆ど仕事はなく、その時点でレイオフされても仕方ない状況だったのだが、これはいわゆる一カ月前通告というヤツである。会社が契約終了を決心するのが遅れたために、仕事がないにもかかわらず、ひと月の間飼い殺しにされる羽目になったのだ。

「何をやっていてもいいよ」とは言われたものの、会社のオフィスは完全な自由空間ではないので、好き放題やるにも限界がある。どうせ何も仕事はないんだから、給料だけ一か月分払って自宅待機にさせて、と何度思ったことか!

そんな折、マジック用品販売業をやっている知人がたまたま仕事を提供してくれた。ちょっと文章を加工してマジック用品のネタを作る作業だ。パソコンさえあれば何処でも出来るので、これは好都合だった。筆者は会社の給料をもらいながら、その会社のオフィスで会社とは全く関係ない仕事をして稼ぐ形になった。首を切られる前の一ヶ月間、会社のオフィスでのヒマはこれで解消された。

さて、この派遣契約が終了してから、これと言って勤めには出ていない。それなのに何ゆえなんとかかんとかやっていけるのか、実に不思議なのだが、時間を遡って思い起こしてみると、毎月毎月何やかや仕事らしきことをしていたのであった。

実は契約終了の約一ヵ月後に、大分前から決まっていた約三週間のドイツ出張が待っていた。勿論前の派遣先にいながら休みを取って行くつもりだったのだ。そこまで融通の利く派遣先を首になった直後、同じような都合のいい職場が見つかるハズもなく、就職活動は否応ナシに先延ばしとなった。そして後のことは取り敢えず、ドイツへと旅発った。

通常、筆者のようなほぼ無名のパフォーマーが欧米ナゾへ「シゴト」に行く場合、交通費込みのごく低い金額しか提示されないことが多く、結局赤字になる場合が多い。ところがどういうワケか、このシゴト先では興行が思いの外上手く行ったらしく、当初提示されていた額の倍以上を頂いて、赤字は大いに免れた。

そうこうするうちに年が明けたものの、なんとなく就職しそびれていた。ところがパフォーマンスのシゴトが「忘れた頃」を周期にぽつぽつ入ってくる。そういうシゴト場はマジック用品の販売コーナーもセットになっている場合が多いから、ついでに以前から細々と作っていたマジック道具であるフェザーフラワー(通称「毛花」)を販売して黒字幅を少し広げるなんてコトもしていた。また、に短期の派遣の仕事が二、三件入ってきたこともあった。

しかし遂に「いよいよ仕事がなくなるなぁ」と考え始めた、その時。昔取った杵柄。マジックのDVDを編集する仕事が回ってきた。単位に関係のない授業で「マルチメディア概論」などと言いつつ殆ど動画編集の実習のような授業を受けていた事があって、その縁で知人に動画の仕事を任されていた時期があったのだ。そんな事情を知っていた人が、全く別の所から仕事を引っ張ってきてくれたのだ。

さて、DVDにかかりきりになっているうちに夏になってしまった。そして以前から「忘れられそうな頃」を周期に夏山シーズンだけ働きに行っていた山小屋へ雇われに行くことになった。重労働で割は悪いのだが、まとまった収入にはなる。山を降りたら降りたで、相変わらずおマンマ食い上げない程度にケチな仕事が入ってくる。気がついたら派遣を辞めてから一年以上経っていた。

年が明けて一月。この月は何も収入がなかったと思っていたのだが、家計簿を見ると、要らない物をオークションで処分したり毛花売ったりするなど、しっかり小金を稼いでいる。その上、以前「会社のパソコンでも出来るマジック用品造り」の仕事をくださった方から翻訳やWEBデザインの仕事を頂いてしまい、そう言えば机に齧り付いてしっかり働いてもいたっけ。

さて、三月。今度こそいよいよ仕事がなくなるなぁ、と思ったのだが、既に派遣社員時代の月収入の半分くらいの額が入金している。知り合いのマジック用品ディーラーさんが毛花をまとめて仕入れてくれたり、たまたま一般のお客さんから注文があったり、おかしな所ではまるで畑の違う演劇界から「ラフレシアのような巨大な毛花」を作るように言われてみたり…。

そんなこんなでこの年も、明けて早々からまたしても就職しそびれていたのだが、結局この年は「赤字の海外出張及び一銭にもならない海外就職活動旅行」がいくつも発生し、「就職…」などとおくびにも出せない状況になってしまった。

その海外出張地獄の年が明けてから更に一年以上経った。派遣社員でなくなってからかれこれ三年以上。筆者は依然、職業不定者である…。