序章 マジックやってて良かったってワケでもない

序章

筆者はマジシャンである。――一応。詳しくは本文中に書くが、自らこう断言するにははなんとなく語弊を感じていなくもない。

そんな事はともかく――。

よく筆者のお仲間たちは「マジックやってて良かった」というコメントをする事があるけれど、その度に筆者は自分自身に照らし合わせて「別にそうでもないケド」と思っていた節がある。何故かと言えば、その理由の一つは、マジックに関わったばかりに辛い思いをした事の方が多い――と言うよりも、実際は良い事も悪い事も同じくらいにあったのだろうけれど、辛い思いばかりが増幅されてココロに蓄積されてしまっているようなのだ。

もう一つの理由には最近気付いたのだけれど、他の人たちが「やってて良かった」と思う、ある瞬間について、筆者の場合はマジック以外の分野で成し遂げている方が多いため、別にマジックのお陰で良い思いをしているワケでもない、という事である。

例えば皆がよく言うのに「世界中に知り合いが出来て、時には言語を越えてお付き合い出来る」てのがあるのだが、筆者の場合、どういうワケかガイジンの知り合いはマジシャン以外の方が多い気がする。

彼ら、即ちマジシャン以外のガイジンとはどうやって知り合ったかというと、マジック絡みのイベントで出掛けて行ったついでにダラダラとその国に居座り続けた結果、安宿で行きずりに知り合ったとか、マジック絡みのイベントで通訳をして頂いたとか、たまたまその通訳さんの姉妹が会場にやって来て一緒にゴハンを食べに行く事になったとか――確かに間接的にマジックが関係してはいるのだが、それらの出会いは、全く同じ人物とではないにしても、普通に旅をしていても起こりうる偶然でしかないのだ。別に全くもってマジックのお陰というワケでもない。

よく考えたら、筆者自身はマジシャンそのものに対しては興味がないので、たまたまシゴト先で一緒になったからと言って「やあやあ、どうぞよろしく」と自分の方から進んで挨拶に行ったり、自分から名刺を差し出してコンタクトを取ろうとしたりなんて事は余りしていないようなのだ。筆者と懇意にしているマジシャンは、どういうワケか波長が合う人とか、筆者と共通ではないもののコアな趣味を持っていて話が面白い人とか、もしくは矢鱈と知り合いが多い、即ち誰にでもオープンハートな人に限られる気がする。要するに、普通に友達を選ぶ基準と同じなワケで、マジシャンであるというだけでは仲良くなれないのだな。多分、多くのマジシャンはマジシャンであるというだけで結構仲良くなってると思うのだけれど。

そもそも、マジック絡みで出掛けて行っても、どういうワケかマジシャンでない人と仲良くなる事の方が多い。例えば、韓国のマジック・プロダクションに出向いた時は、海外事務担当とデザイン担当の社員と仲良くなって一緒に飲みに行った。アメリカの田舎町のイベントに参加した時は、主催者のマジシャンよりもホームステイ先のご夫婦と親しくなった。何度か顔を合わせた事のあるドイツのとあるマジシャンのグループとは、マジシャンそのものよりアシスタントの女の子とよく連絡を取る。台湾へ行った時はもともとの知人であるマジシャンよりも、その人の彼女とむしろよく喋っていた。

よーするに、キャリア的に全然プラスにならない事ばかりしているのですな。

とほほ。

実の所、たまたま関わっているアートがマジックだったというだけで、例えば写真とか音楽とか、他の分野にのめりこんでいたとしても「世界中に知り合いが出来て、時には言語を越えてお付き合い出来る」という事象が発現する事は自明なので、余計に「マジックのお陰」という気がしてこないのだ、とも思う。

多分、そんな筆者だからこそ書けるマジック界の悲喜こもごも――ごくごく冷静な部外者的目線で捉えられたマジック界のヘンなハナシについて記述したのがこのエッセイ集なのである。というスタンスであるならば、それを書くのは何もマジシャンである必要は全然ないワケだが、ホレ、そこはそれ、やはり全くの部外者ではそういったハナシに触れる機会もないワケだし。マジックというものに偏愛を抱かずして、且つ中途半端に入り込んだビミョーな立場のこのアタシが、全くもって適任...なのカモ、と思ったり。

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