壱章 どちらかというとフツーの人です。
プロという肩書
以前、知人のご夫妻にこう訊かれた事がある。
「今は勤めに出ていないんですよね?」
悲しいかな、それは事実である。仕方なく「ハイ」と応えると、奥さんが興奮したようにこうおっしゃるのだ。
「じゃあ、今はプロマジシャンじゃないですか!!!」
ぅへ!中途半端にマジックに携わっていた者が勤めを辞めさえすればプロになれるんですか???んな、アホな...。そんな事を自ら吹聴しようものなら、どこぞのプロのオジさんたちに張り倒されそうである。イヤハヤ。
しかしながら、このところずっと勤めにも出ておらず、それでいてなんとか生計が成り立っているという、本人にとっても摩訶不思議な生活をしているので、それは他人にとってはますます不思議な事であり、それゆえ、たまに「プロになったの?」と訊かれることがある。勿論マジシャンとしてプロになったのか、という事である。そうするとなー、なんともなー、曖昧なお返事しか出来ないのだよ。
大体、プロマジシャンの定義が曖昧である。認定機関があるワケでもないので、ど素人でも、パートタイムでも、どヘタでも、とにかく本人がプロと名乗ればそれでプロだって事なのかもしれない。そういう事であれば、筆者は「プロである」と自分からわざわざ名乗ったり、名刺に「マジシャン」と小っ恥ずかしい肩書きを入れたりはしないので、「プロと名乗っているプロ」ではないのは確かだ。また、それだけで生計が成り立っているワケでもないので、そういう意味でのプロでもない。しかし、機会が少ないながらもシゴトを請ける時は相応のお金を頂くから、そういう時には手を抜かずに「プロの仕事」をしたいと思っている。そういう意味ではプロと名乗っていいのだろうか?仮にそうだとしても、やはりわざわざ自分から名乗る気はないのだが。
筆者にとって、プロである、という肩書きは実はどうでもいいのである。何も仕事はマジックだけではない。やりたい事をイロイロ一度にやりながらなんとか生計が成り立ってしまっている。やりたい仕事と出来る仕事の種類が複数あるというだけで、マジックを好きな人がマジック一つで生きていくのと同じ事なのだ。そもそも筆者はマジシャンを目指して生きてきたワケではなく、関わった事の一つがマジックだったというだけなのだ。今後もマジック一本で生きていく気もないし、「プロ」という肩書きを持つ事に興味はない。マジックに関しては自分の出来る最高の仕事を、その度ごとにしていくだけだ。
でも、筆者に「プロになったの?」と聞く人は、そんなお話を聞きたいのではなく、筆者にプロという肩書きがあるかどうか、白黒はっきりさせたいだけなんだな、きっと。しかし筆者にとって「白黒はっきりさせる」事にはやはり何の意味もないので、結局お返事はなんだか曖昧なものになってしまうのだけど。
ところで、どこぞのプロのオジさんと言えば、以前、イベントに呼ばれてシゴトをしに行った折、たまたま居合わせたいわゆるプロの方からお説教を受けた事があった。ナニ、筆者個人に対するお説教というよりはマジック界の若者たちに対する不満のようなモノだった気もするのだが、イマイチ焦点が絞りきれてなくて結局何を言いたかったのかよくわからなかった。「つまりは『お説教』をしてみたかっただけかしら?それにしても長かった、解放されて良かった」という感想が残っただけだった。収穫といえば、その方については悪い噂しか聞いた事がなかったのだが、思った程悪い人でもなさそうだったと感じた事くらいか。ただし、とりわけ良い人でもなさそうだった事も確かである。それにしても、聴いていて何も得る所がないお説教程辛いものはない。
また、筆者より一回り以上年下のプロマジシャン君から、ホンマもんのプロの世界にいるからこそ知り得るディープで黒い黒い噂や本音をいっぱい訊かせて頂いたこともある。こんなに喋っちゃっていいのかいな?怖くてココにはかけないようなあんなことも、こんなことも...。ただ一つ言えるのは、前項のお説教よりは余程面白かったという事である。詳細をお伝え出来なくて非常に残念だ。
彼からは、いわゆるプロと定義されている方々の実情なんていう楽しい?お話も伺えた。お陰で「いわゆるプロの定義」というのも実際テキトーなんだ、という事は学べた気がする。で、まーお世辞かもしれないが、彼から見たら筆者のシゴトはいわゆる定義とは別の方面でプロっぽい範疇に入るらしい。ますます怪しい、プロの定義。つーか、こんな半端な感じでマジックに関わっている半ばアマチュアのような者が、マジック関係のイベントにゲストで呼ばれてしまうこと自体、この世界の狭さと未熟さの表れなのかもしれない。他の世界の、例えば音楽家とか、ダンサーとか、歌手とか、その道のプロってのはもっと厳しい道を歩いていそうだよ?少なくとも、他の仕事を辞めたらプロ?になれる???程甘くはないだろう。