壱章 どちらかというとフツーの人です。

永久就職

ちょっと年配の知人と話していて、今後の人生をどのよう過ごしていくか、なんて突っ込んだ質問をされたので、まー今やっているやりたい事を続けていくためにどうやって生計を立てていくか、即ちやりたい事そのものを生計を立てる手段にすることを考えている、てな答えをした。すると、この年代の、特に男性の方にはありがちなんだけれど、

「貴女もそろそろ落ち着いて――」

と、実に的外れなご意見を頂いてしまう。まー心配してくださっていることはわかるのだが、どうしてそういう方向に発想が向くのかねぇ。ダンナの上がりで食っていき、後は「やりたい事」に専念しなさい、というプランだと思うのだが、筆者にとって、これは余り良いアイデアとは思えない。ヘタに自立してない相手だったりすると、そいつのお守りという仕事が余計に増えるだけだ。仮に勤勉な相手だったとしても、相手だけ働かせて、自分は勤めにも出ずにのーのーと「やりたい事」に専念出来る程筆者の神経は太くない。気使いする分、やはり余計な仕事が増えるだけである。「女はいいねー、ヨメに行けばいいから」とか言う人に限って、この辺がよくわかっていないようだ。

そもそも、よくよく考えると、筆者は「ヨメに行きたい」と思ったことがなかった!世間ではヨメに行かない女を負け犬と呼ぶのが流行っているようだが、何ゆえそれが「負け」になるのか、皆目理解出来ない。大体、筆者の知人でヨメに行った者は多くいるが、取り立てて羨ましい生活をしている人がいるワケでもない。むしろ、ダンナの帰りが毎日遅過ぎたり、子供の世話が大変そうだったり、姑とのしがらみが大変だったり、ダンナの仕事の都合で海外に行ったはいいが、することもなく退屈していたり、およそ羨ましいとはかけ離れた状況だ。本人たちはそれはそれで得るところも別にあるだろうし、「可哀相」とまでは思わないのだけれど、「自分だったらヤダなー」という状況であることに変わりはない。

よく出来たもので、こういう風に考えている筆者の処に、その類の話はトンと現れない。イヤ、仮に「ヨメに行きたい」と深刻に悩んでいたとしてもそういう話はトンと現れない気もするのだが。まぁいい。よく考えたら、「ヨメをもらいたくて仕方がない」人は百回お見合いしても成功しなかったり、「ヨメに行きたくてしょうがない」人に限って何度も何度も相手が変わっていたりもするし。逆のケースもあって、筆者と同様、「別にヨメに行きたいとも思わない」時に限って男がうじゃうじゃ寄って来て、鬱陶しがっている友人もいたっけな。そのあたりが実に上手く行っている筆者は幸いな人と言ってもいいのかもしれない。