壱章 どちらかというとフツーの人です。

変面事始書

さて、前項にも書いたように、筆者は普段、ノーメイクで過ごしている。どうして?などと、その状態がさも常識外れであるかのように質問をする方もいらっしゃる。それ程までに、女というモノは化粧をして社会生活を遂行する事が半ば義務とされ、且つ「一般常識」となっているのであろうか。ある知人が「スッピンだと周りの人に失礼にあたる」と、筆者にとっては目からウロコなご意見をぬかしていた事があったが、人は自分が思う程、他人の身なりに気を使わないものである。実を言うと、日本の女性程普段から隙のないメイクをしている人種は世界的に見ても珍しい。だから日本女性はガイジンにモテるのかも?という説もある程だ。

筆者にとってメイクをしない理由は、単に必要を感じないからというだけの事である。大体、プロのメイクアップアーティストが施したナチュラルメイクならともかく、素人が塗りたくっただけの化粧には何かしら「取って付けた」感が拭えない。何か余計な物が一枚上に張り付いている気がするのである。「あ、化粧をしているな」と思ったら、そこで何やら白けてしまうのだ。そんな紛い物の一皮を被る為に、わざわざ時間を割く気には到底なれない。それに化粧品もタダではない。

そんなこんなで、筆者の起床から出勤まではものの五分しか要しない。時間的にも経済的にも非常に効率が良い。何故日本女性の大半がこのような過ごし方をしないのか著しく謎である。

とまー普段は全く天然状態の筆者であるが、シゴトの時は一応メイクをする。いわゆる舞台メイクというヤツだ。近くで見られるワケではないので、ベースさえしっかりしていれば大雑把でも結構見られなくはないし、これでもか、というくらい大胆に塗りたくるので、化粧をするというよりはフェイスペインティングのような感覚で、結構楽しい。この時ばかりは出来るだけ時間をかける。知人の言う「常識的社会人」の日常同様に「客に対して失礼にあたる」から、と言う程ではないにせよ、最低限見苦しくないようにする必要はあると自分でも思うからだ。

実をいうと、かなり幼少のみぎりからこのような塗りたくりの経験はある。三歳頃から民踊を習っていて、年に一度の発表会の度に無理やり塗り込まれていたのだ。これも一応舞台化粧だから、間近で見るとかなり恐ろしいものがある。しかもそれを施す大人たちはど素人なので、アイシャドーは取り敢えず青、頬紅は取り敢えず赤、という、まさに塗りたくっただけの失敗したお絵描きのような代物である。一度、ロシアのダンスグループと「共演」した事があって、彼らに影響受けて民踊の会でドーランを買い、それを使うようになった。普通の化粧品より更に臭いがきつくて塗った感じが気持ち悪い。我々子供は「化粧したくない」と言って、発表会の度に逃げ回っていたのであった。ひょっとしたらこの頃の事がトラウマとなり、現在の状況を作り出したのかもしれない。

大学生になっても、理系学部ゆえ周りの友人も化粧っ気のない人ばかり。普段は相変わらずスッピンで過ごしていたのだが、何の因果か年に一度発表会活動を行う手品サークルに所属してしまったばかりに、余儀なく化粧をする事になる。とは言っても、一年目、先輩の助手として出演した時は、本人が面倒臭がった上、そういう事を気にする先輩が一人もいなかったので(=殆ど男だった)、なし崩し的にスッピン出演と相成ったが。これも今思えば結構トンデモな所業である。

二年生からは自分が主体となって出演しなければならなかったので、一応化粧品を買ってはみた。が、慣れないものだから、アイシャドーは取り敢えず青、頬紅は赤、と、やはり失敗したお絵描きのような状態となった。因みにこの時は後に語り草になる程ヘンな衣装を着てもいたので、ヘンな化粧よりもそちらの印象の方が強かったらしい。スカートの裏にペチコート素材をガンガン入れまくって膨らませ、必要以上に大きく、無闇にモノが入りやすそうな風に見えたようだ。実に踏んだり蹴ったり(しかし、目指したのは森高千里風)。この時分より幾分マシになっていったものの、「正しい化粧の仕方」を率先して指南してくれる人が全くいなかった事もあり、筆者の舞台化粧は随分長い間、取り敢えず粉末類を乗せただけの適当な薄化粧のままだった。

そうこうするうちに、卒業後も延々とこの世界に関わり続け、物好きにも持ちネタと共に海外を練り歩く事になる。そんな過程の中で、ごく最近になって、初めて筆者の化粧のマズさを指摘する人が現れた。相手はアメリカ人のオバさんである。彼女はもともと綺麗な人には違いないのだが、近くで見ると、うぎょぎょぎょぎょ、とのけぞるような濃い化粧を普段からしていた。そんな事はともかく、彼女のアドバイスは。

「アナタは目元にもっと色を入れた方がいいわ。今の状態では何もないのと一緒よ。」

――確かに、出演中の写真を見る限り、彼女の言い分は正しい。そもそもが一重瞼で地味な顔つきなので、とにかく目元を強調しないと話にならないようだ。照明の加減で、申し訳程度の薄化粧はないも同然にすっ飛んでしまっていた。

この時から余り時を空けずに、知人の紹介でプロモーション写真を撮る事になった。世話をしてくれた女性はプロのパフォーマーであり、本人曰くメイクアップアーティストの資格もあるという。当然、メイクはお願いした。

が。

アイラインを引くのにやけに時間がかかる。両目で通算十分以上かかっただろうか。水で溶かして筆で塗るタイプの物で丹念に描き込んでくれたのだが、出来上がりを鏡で見ての感想は――

「こ、コワい...」

まるで京劇役者だ。鏡の中の光景はホラーかと思った。アイラインは、目を開けた状態でたっぷり五ミリは現れている。「コ、コレ、ちょっと濃過ぎない?」と言ってみたものの、「これぐらいでちょうどいいのよ」と一蹴される。カメラマン(中国人)に訊いても、上出来と言わんばかりに満面の笑み(彼は英語が話せない)。国民性による感覚の違いだろうか。それとも、実際これぐらいコワくないと舞台映えしないのだろうか。しかし、この時は至近距離での写真撮影である。もっとフツーにならないものか。彼女は筆者の意向を汲み、ペンシルタイプのアイライナーで別のサンプルを作ってくれた。しかしそれでも濃い。

「じゃあ、こうしましょう。私のメイクで一本撮った後、アナタの納得出来るメイクをし直してもう一本撮るの。写真が出来上がってから、私のメイクはやっぱりダメだった、って事になったら、どうしようもないし。」

彼女がこう提案してくれたので、二バージョンの写真を撮る事になった。が、結果は、いずれも...。所詮元が悪いのだろうか。カメラマンが持ってきてくれた出来上がりの写真は、輪郭がぼわっとなっていて、なかなか良い雰囲気。筆者はソフトフォーカスレンズを使って撮ったモノだと思い込み、別の写真屋にネガを持ち込んで追加分をプリントしてもらった。が、初めのプリントは現像時にソフトフィルターをかけてしたものらしく、従って、ネガにはぼわっとした輪郭は反映されていない。もともとの写真は余り見目麗しくない、殺伐としたモノであるという事が判明した...。毎回特殊技術で現像してもらうのも高くつくので、この時撮った写真はレタッチソフトで修整して使っている。とほほ。