壱章 どちらかというとフツーの人です。

裁縫が出来て悲しかったこと

筆者は割と裁縫が得意である。習いに行った事はなく、作りたいものがあったら本を探してきて型紙を切り抜き、ガチャガチャと縫い合わせるだけなのだが、するとなんとなくそれらしいものが出来てしまうのだ。殆ど我流のインチキ洋裁術であるが、なかなかどうして、きちんと裏地のついたジャケットなんかもそこそこの見栄えに仕立てられるので、お陰で衣装代が安く済んでいる。

学生の時、自分のアシスタントの男の子用にウイングカラーの真っ赤なシャツを作ったことがある。すると「自分にもその襟の形でシャツを作って欲しい」という子が現れた。縫製代と材料代は払うから、とも言った。襟の形のことだけでなく、その子は袖の長さも短くしたかったので、既製品では都合が悪かったのだ。その子は筆者が以前作ったカマーバンドのことも覚えていて、同じものをこういう布で作って欲しい、とも頼んできた。

筆者はまず布を買いに行った。ズボンの色に合わせて欲しいということだったので、そのズボンを持って布地屋を隅から隅まで捜し歩いた。それは濃いえんじ色で、あるようでないような色。ようやく近い色が見つかったが、メーターあたり七、八百円くらいだった。服地としてはそれ程高いワケでもないのだが、必要量を買えば、安いシャツなら手に入るくらいの値段になる。その材料費を請求すると、その子はちょっと面食らったような顔をした。

とりわけ急ぎでもなさそうだったが、多分早ければ早い程良かったハズだ。本番と同じ衣装でなければネタの取り出し具合が異なるので練習もしにくい。そして、自分も練習しなければならないから、他人の衣装を縫うのに日中時間を取るワケにはいかない。なので、殆ど徹夜をしてその子の依頼品を縫い上げた。素早く仕上げて持っていくと、その子は嬉しそうな顔をして、礼は言ったと思う。ただ、それっきりだった。筆者が「縫製代を払うなら作るよ」と持ちかけたワケではない。その子の方から「金は払うから作って」と、そう申し出たのだ。仲間の頼みなのだから、多分筆者は無料でも作ったと思う。しかし、申し出たのはその子の方からなのだ。多分、材料費が思ったより高くついたことでその子は縫製代まで払ってしまったような気になってしまったのかもしれない。言いたくはなかったが「バイト代は?」と訊いた。するその子はこう言った。

「タダでいいじゃん」

それを聞いた時、自分が仲間のためを思ってした全ての行為が、無駄なことであったかのように錯覚した。布地屋をくまなく歩いて布を探し出してきたこと、依頼主のサイズに合わせて型紙を写し取り、布に留めつけて裁断したこと。空が明るくなるのを横目で眺めながら寒い自室でミシンを踏み続けたこと。それらは依頼主の満足感に取って代わられるものだと信じて疑わなかった。筆者はその子の心無い言葉に酷く傷ついた。

もし、その子が本当に貧しくて払う金がないのなら、筆者は「払う必要はない」と言っただろう。しかし敢えて物質的に比較するのならば、その子の生活費と学費は親持ち。筆者は自宅通いだったが、学費は自分持ち、その歳になって小遣いをもらうワケもなく、バイトも上手くいっていなかった。多分、その子の方が金銭的に裕福であったと思う。即ち、その子はお金がないのではなく、お金を払いたくなかっただけなのだ。筆者の仕事に対して価値を認めていなかったのだ。仲間だからタダでやってもらえるものだという甘えた考えがあっただけなのだ。自分から申し出た条件を確実に履行すべきだという責任感がなかっただけなのだ。金額など問題ではない、その子が払うと言ったのだから、その価値をその子が百円程度だと思うのなら、それでも構わない、それを払いさえすれば良かったのだ。筆者はその子のルーズさを憎んだ。

大分後になって、その子の目の前で、その子の財布から千円札を一枚抜き取った。あの時のバイト代としてもらっておく、と言って。しかし、その子は筆者のそういった行為から何も汲み取らなかっただろう。傷ついたことも、悔しさも、憎しみも、思い遣りも。ならば、あんなお金は一生受け取らない方が良かったかもしれない、と今にして思う。