伍章 外国でも七転八倒

始め悪ければ終わり悪し

殊更交通費が高くつくヨーロッパ方面へ出掛ける時は、出来るだけ安いチケットを手に入れるように工夫する。そういうワケで、東南アジア経由、ドバイ経由、なんていう甚だ不便な路線を利用する事が多い。マレーシア経由で北欧に出掛けたこともある。その旅では最初と最後にトンだ災難に見舞われた。まずは目的地のストックホルムで。

空港に到着し、難なく中央駅にも到達。スムーズに始まったかに見えたこの旅。重い荷物を抱えているゆえ、物価のバカ高いこの国で仕方なくタクシーを拾って宿泊先に向かう。歩いてもナンボの距離でもないのだが、見る間に上がっていく料金メーター!寄り道せずに早く到着してくれ!

着いた所は古いビルの地下にある安宿。二ヶ月前からメールで予約を入れてあり、更には一ヶ月前に先方から指示があった通りにリコンファームまでしておいた。間違いなく予約が取れているハズである。

ところが。

建物に入っていったものの、受付に誰もいない。辺りを見回しても職員らしい人は一人も見当たらない。仕方なく誰か現れるまで待っていると、ドコぞから背の高いおニイちゃんが現れ、スペイン語話者の客と押し問答を始めた。その客はアルゼンチンから来ており、電話で予約を入れたらしい。しかし、おニイちゃん曰く、彼の名前は予約表に載っていない。何か違う名前で予約したのではないか、と英語で聞くのだが、客は英語がよくわからない。近くにいた別のスペイン語話者が助け舟を出すも、こちらも余り英語が出来るワケではないらしく、助けにならない。結局彼は無情にも外に放り出されてしまったようだった。酷い話だ。

これが他人の話かと思ったらそうではなかった!

散々待たされた挙句、こちらの名前を告げるも、筆者の名前も予約表にないと言うのだ!先方から届いた予約確認メールのコピーを見せたのだが、コレも助けにならない。メールの履歴を調べてくれ、と言ったのだが、やはり「ない」と言う。そんなアホな。このおニイちゃん、ひょっとして、ものスゴー無能なのではないかと思い、自ら証拠を得るべく、筆者はずかずかとオフィスに入っていく。メールボックスを検索すると。

ちゃんとあるじゃん。アタシの送ったメール。

で、そこには確かに、本日から八泊分シングル一部屋予約、と記述されている。再確認のメールも送っている。なのに。予約表に載っていないから、今から八泊分も手配するのは無理だ、とおニイちゃんはのたまうのだ!

予約を依頼し、OKをもらった証拠が確実に残っているのだから、明らかにコレは先方のミスである。それを「無理だ」「仕方がない」で済ませようと言うのか?金銭的な保証も他の投宿先の保証もなく?

先方が示した「可能性」は、その日と翌日を含めたシングル二泊分と、一日置いた先のドミトリーのベッド一泊分、その他の日はキャンセルがある可能性もあるが、確約は出来ない、というものだった。あの~、この先八日間、大きな荷物を抱えてあちこちウロウロして回れと言うんですか?そういうことをしたくないがために二ヶ月も前から予約を入れたというのに!予約再確認までしたと言うのに!

他の宿泊先を紹介してくれ、と頼んでも、今週は大きなイベント(まさにそれに参加しに来たんだからわかっとるわ)があるから難しいだろうと言うばかりで、何の情報も提供してくれない。そして駅前付近のホテルはスーパーエクスペンシブだからキミが泊まるのは無理だろう、と決め付けるような口調。じゃあ、自分で探すから、この宿にある宿泊客用のパソコンを無料で使わせろ、と頼んでも、実に都合良く「二、三日前から壊れていて使えない」と言う(嘘かもしれない)。じゃあ、せめて他の宿を探すための通信費や移動するためのタクシー代を出せ、もしくはその分今晩の宿代を安くしろ、こちとらアンタ方のせいで大層な迷惑を被った上、実際金銭的にも損失が出るんだ、それくらいするべきだろう、と、かなり強気の態度に出てみたものの、「我々はそういうことはしないことになっている」とニベもない。挙句の果てに、「タクシー代なんかそんなに高くないよ」と言ってのける。

アンタの国の物価は、外国人にとってはことごとく高いんだよ!

なにしろ公衆電話をかける時に最低十クローナ(約百五十円)がデポジットとして必要である。長距離じゃなく、市内通話が!十件かければ千五百円である!そして筆者は、宿の空き室状況を訊ねるのに実際それくらいは使った。実に腹立たしい国だ...。

手持ちのガイドブックを頼りに方々へ電話をかけまくり、ようやくドミトリーのベッド六泊分を抑えることが出来た。最後の一泊は空きがなく、保障されていない。しかもドミトリー...。身軽な旅なら相部屋でも構わないのだが、毎日帰りが遅くて朝が早いし、貴重品は置いていけないし、とにかく他人を気にしたくなかったので、今回は通しでシングルの部屋を取りたかった。しかし、物価の高いこの国のこと、ドミトリーの料金さえ日本のビジネスホテル並みである。手頃な価格のシングルを見つけるのは至難の技と思われた。件の腹立たしい安宿は、そんな中で唯一、手頃な価格で提供してくれる場所だったのだが、安宿ゆえの悲しさよ、仕事も杜撰なら保障もへったくれもあったものではない。日本のユースホステルだって、同じ状況になったらもっとマシな対応をしてくれると思うのだが。

結局、その晩はその最悪の宿で、最悪の気分のまま夜を迎えた。知り合いのご夫婦が翌日いらっしゃることになっていたので、「最終日、万が一の場合は転がり込ませてください!」と迷惑千万なメールを送りつけ、一応はホケンをかけておいた。

翌朝、チェックアウト前に、歩いて行ける距離にある小規模ホテルを訪ねてみることにした。最終日だけ移動するのは慌しくてイヤだったし、多少高くてもやはりシングルの方がいい。そして、近くなら移動費もさほどかからない。まずは歩いて五分程の所にある中級ホテルを訊ねてみると。なんと七泊連続で空き部屋があるという。値段は、まーそこそこ高いが払えない金額ではない。他にも何軒か見て回ってみますと言って、その先にあるホテルでも訊いてみると、やはり空き部屋有りとの事。なんだ、結構空いてるじゃないか。この際だから、駅まで行って、ツーリストインフォメーションで手頃なものがないか検索してもらおうと思い、更に歩いて行った。すると、その途中、駅前の通りにも何件かホテルらしきものがある。その中の二、三件を選んで空き室状況と値段を確認していったのだが、なんと一泊四百九十クローナで泊まれる所があった。日本円で七千五百円くらい。日本の中級ホテル並の価格である。件のサイテー安宿が四百二十五クローナだったから、それに比べれば悪い値段ではない。部屋を見せてもらうと、余り広くはないものの、大層小綺麗で、風通しも日当たりも申し分なく、勿論バスルーム付である。北欧だけあって、インテリアはかなりお洒落。ベッドサイドのテーブルは可動式の洒落たデザイン、バスルームは藍色のタイル貼り、小さなクローゼットもあり、実に機能的な造り。何故かDVDプレイヤーまであり、無料で訊けるCDまで置いてあった。

フロントの女性曰く、今の時期はビジネスホテルにとってはオフシーズンなのだそうだ。え?そうなの?て言うか、このお洒落さでビジネスホテルですか筆者に提示された価格も、オフシーズンのスペシャル価格。普段はもっと高いらしい。一応、この後も何件か見て回り、インフォメーションでも探してもらったが、コレより良い条件の所は見つからなかったため、とんぼ返りして即、チェックインした。駅から歩いて三分。エアポートエクスプレスの乗り場まで歩いて一分。ロケーションも最高。しかも朝ゴハンも豪華だ!夜は無料のコーヒーとクッキーのサービスまであった。対するサイテーの安宿の方は、地下にあったので、風通しが悪く、北欧だというのにエラい湿度が高くて寝心地が悪い。シャワーの音や人が騒ぐ声も五月蝿い。そして、シャワーも洗面台も共同。千円そこそこの違いとは思えないくらい設備が異なっていた。即ち結果的により良い状況におさまったワケだが。

着いて早々、ああも不愉快な気分にさせられるのはもうコリゴリである。

何であんなに腹が立ったのかと、つらつらと思い返してみるに、あの無能を絵に描いたようなふてぶてしい態度の安宿の職員は、筆者にも、アルゼンチンの客にも、一言も謝らなかったのである。予約の記載ミスをしたのは彼自身ではなかったかもしれないが、少なくともアレは受付で応対する者の態度ではなかったと筆者は感じた。誠意の欠片もなく、とにかくこの場を「自分の非でないから」と切り抜けたがっているのがみえみえだったのだ。まー接客業世界一の我が日本と比べたら、どの国の接客も見劣りするのだろうけれど。日本の常識が海外で逐一通用するハズもないのはわかっているが、それにしてもアレは酷かったと思う。

続いての災難は、帰国の一歩手前、経由地のマレーシアで。今回は目的地がマイナーな場所だったため、フライトの数が少なくて同日乗継が出来ない。従って、行きはクアラ・ルンプールで二泊、帰りは一泊(早朝着、深夜発の為、丸々二日滞在)する羽目になる。それでもマレーシアの物価は安いので、滞在費はさほどかからない。この経路はかなりのお買い得。金は豊富に持っていないが、時間には誰よりも余裕がある筆者としてはこういった経路がまず選択肢として上がってくるのだ。この経路は以前にも利用した事があって、その時はなんだかんだと文句を言いつつも、異様に長過ぎる待ち時間を潰すため、クアラ・ルンプールの街まで出て行って結構楽しんだ。街の地理にも詳しくなった。

それでも、「やっぱりウチが一番」主義の筆者としては、早く帰りたい。て言うか、このすぐ後に韓国でのシゴトが控えていたため、予定通りに帰る必要が差し迫っていた。

さて、いい加減クアラ・ルンプール散策にも飽き、ゃ、やっと帰れる!と思って空港に着いたものの、電光掲示板を見るとDelayの文字が。時間は予定通り、しかし日付が翌日になっている。カウンターに確認に行くと、地上職員のおネエちゃん、「二十四時間遅れです」と、しれっと言ってのける。に、にじゅうよじかん???

は、早く帰りたいよ~~~~~!

て言うか、韓国への乗り継ぎ便に間に合わないんですけどっ!

おネエちゃんは「自然災害による遅延なので、宿泊の保障は出来ない。街へ戻るタクシー代くらいしか出せない」と追い討ちをかける。どうも日本に台風が接近しているらしい。

なんとかその日のうちに日本の何処かに降りるフライトはないか、はたまた直接韓国へ行く便はないか、模索すべくチケットオフィスへ向かう。ココで順番を待つ間に日本の旅行会社に電話して、日時の変更が出来るかどうか、キャンセル料は幾らかなど問い合わせる。結構遅い時間だったが、運良く帰宅直前の職員を捕まえることが出来た。変更不可のチケットだったので、買ったものをキャンセルし、新たに取り直すことになる。都合元の二倍くらいの出費になるが、ヘンな経路で無理矢理行こうとするよりは韓国行きを一日遅らせた方が良さそうだった。だからチケットオフィスには戻らず、本日の宿の手配でもしようかと思ったのだが、虫が知らせたのかなんなのか、取り敢えず戻って悪あがき(=情報集め)をすることにした。すると。

予定便が遅れているので、こういうフライトを探したいと伝えると、応対したおネエちゃん、何やら上司と喧々諤々マレー語で騒ぎ始めた。こちらの話もロクに聞かずに電話をかけたりコンピューターのキーボードを叩いたり。散々待たされた挙句、おネエちゃんはフシギなことをのたまった。

「このフライトは時間通りに運行予定ですよ」

はぃ???

チェックインカウンターで遅延を告げられたこと、電光掲示板に表示が出ていることを話して駄目押しするが、大丈夫、今のところオンタイムだから、出発一時間前に再確認して頂戴、と追っ払われる。

???

出発ロビーに戻ったが、やはり掲示板はDelayのまま。先程と同じチェックインカウンターに問い合わせると、今度は別の職員が 「時間通り運行予定だよ」と全然違うことを言うではないかっ!ご丁寧に、新しく設定されたゲートナンバーまで教えてくれた。その職員に何度も何度も確認をしてから、出国審査場を通ってゲートに向かう。しかし、教えられたゲート付近に人影はなく、飛行機も横付けされていない。掲示板にはretimeの文字。よくよく見ると、明日の朝の出発に変更になっている。
 近くのインフォメーションに確認すると、確かに、翌朝発に変更されていた。

情報が交錯しまくっています!

カウンターのおネエちゃんは、「空港会社が宿泊の手配をするので、今からこの場所へ行って頂戴」と申し述べる。さっきは宿泊の保証はないって言ったじゃん。危うく自分で宿を取ってしまうところだったじゃないか...。更には「三分間のフリーコールも出来る」と有難いことも言ってくれたが、これも後に覆される。果たして本当にタダでホテルに泊まれるのだろうか――実に不安だ。

指定された場所に行くと、同じ便に乗りそびれた日本人がうじゃうじゃいて、知ったかぶりたがりのバックパック小僧が、ツアーに乗っかってフラッと遊びに来た若いおネエちゃんたちに「こういう場合はこうこうこうだ」と、大声でエラソーに講釈をたれていた。少し静かにしてくんないかな。

ココで待たされること延々三十分。シャトルバスに乗って行くこと延々三十分以上。ワケのわからない場所にあるホテルに連れて行かれる。ロビーでは大音量の生演奏中。係員の説明が全く聞こえない。が、なんとか泊まることは泊まれそうだ。

さて、韓国のシゴト先に遅れることを連絡しなければならないが、電話をするには余りにも遅い時間なので、インターネットが使えるかどうか訊ねると...。

なんと一分あたり一リンギ(約三十円)だという!
国際電話並ですか!
つーか、マレーシアの市井価格の約二十倍です!(普通は一時間三リンギ)
何をぼったくってるんだ!このホテルわ!

しかし、背に腹は変えられぬ。一応、こちらの状況への同情を期待して、「半額にしてくんない?」と申し出るも、冷たく一蹴される。

翌朝は七時出発。六時から朝食だというので、目覚ましをセットして起き、急いでご飯を腹に収めるも、食堂から出てきたら出発が四時間遅れとなったとの連絡が。

早く言ってよ。もうちょっと寝られたじゃん...。

が、寝てばかりもいられず。旅行会社が営業開始する時間になると、電話をして韓国行きチケットの再手配をお願いする。電話代など、通信料だけで二千円以上。手持ちのマレーシアリンギは全て使い切り、残りはクレジットカードで支払う。なんだかんだで、日本に着いたのは午後九時。で、車のお迎えを頼まなくてもいいように、空港に大きい荷物を預けて市内まで出たのだが...。

地下鉄止まってるよ!

なんでも、酔っ払いが線路に進入したため、筆者が利用するつもりだった環状線は全線ストップしていたのだった。

お~い。早く帰らしてくれよ...。

んなワケで、なんとかウチに帰ったのは十二時近く。荷解きと荷造りを同時進行し、床に着いたのは明け方近く。

キャンセル料と通信費は海外旅行保険の航空機遅延で請求出来るハズだ、ということに気付き、遅延証明とキャンセル料の領収証はこの時点で既に手配済み。航空機遅延の特約付けといて良かった!二万円限度だが、通信料とキャンセル料分は賄える。そして新しく買い直したチケットの割増し分は韓国のイベント主催側が保障してくれた。

イロイロと勉強になった旅だった。

因みに日本では少々風が吹いたものの、結局台風の影響は殆どなかったそうだ。石橋を叩いて、渡らなかったワケね。ま、墜落するよりいいけどさ。