伍章 外国でも七転八倒

ドイツ語でマジック

さて、ドイツのマジックフェスティバルでは、なんとドイツ人を相手にドイツ語でマジックをした。ドイツに出掛ける二週間程前になって、主催者の青年から「君、自分のやる事わかってるよね。ステージ・ショー六回と、マジック・ディナーでのクロースアップ・ショー二回だよ!」と言われたのだ!ナニぃぃぃ!前半はともかく、後半のお話は、なんですかソレ!聞いてません!断じて!

マジック・ディナーとは、一週間にわたるイベントのプログラムの一つであり、ディナーの合間にマジシャン達がマジックを見せて回るものだ。これはテーブル・ホッピングと呼ばれている演技の一形式である。数分程度の演技を十数回にわたって繰り返すワケで、まるでマジックのマラソンである。

ところが。

筆者がクロースアップ・マジックを人前で演じた経験と言ったら、学生時代に老人ホームで半分惚けたような老人相手に手順とも言えないような代物を見せた事とか、ある程度ネタを知っている後輩達の前で白けた手順を演じたくらいで、ソレもかれこれ十年以上前の事。プロフェッショナル・クロースアップ・マジシャンとして働いた事はおろか、テーブル・ホッピングの経験など、皆無。

悪い、話した事あると思うけど、アタシャ、クロースアップ・マジックが苦手で、と言うか嫌いで、ここ十年程まともに人に見せた事ないのよ。悪いけど他をあたって頂戴、とお断り申し上げたのだが、まー相手と来たらお気楽なもので。

「いいじゃん、楽しいからやろうよ。何でもいいからナンか準備してきて。大丈夫!悪いようにはしないから!」

余りにもあっけらかんとしていて、断る隙がまるでない。現地でなんとか逃げ切れないものかと思いながらも、取り敢えず相手の期待に答える格好は保って適当な道具だけは携帯し、少々胃を痛めながらドイツへ旅立ったのだ。

現地に着いたら着いたで、「マジック・ディナーの事だけどね」とジェントルな笑顔で切り出され、結局言葉巧みに丸め込まれてしまったのである。

あぁぁ…。

さて、普段クロースアップなどしないものだから、衣装からネタ場からまともな準備はしていない。一応、正式なディナーの場なので、みすぼらしい格好をして行くワケにもいかない。幸いイブニングドレスは持っていたので、それに合う髪形を作るためのヘアピース、ネックレス、ネタ場として使うバッグを現地の商店街で調達。占めて二十ユーロ。我ながら手早い買い物であった。

はてさて、肝心のマジック・ディナー、はっきり言って、通常のステージ演技より余程緊張した。しかし青年のジェントルな笑顔は伊達ではなく、テーブルホップ初心者の筆者が演じ易い雰囲気のテーブルを探してくれたり、他の人より多めに休憩を取らせてくれたり(まー筆者以外の人は一テーブルでも多くやりたくてうずうずしているからこれは問題ない)、常に気を使ってくれた。筆者なんぞいない方が余程やりやすかったろうに、「みんなで楽しもう」というイベントの趣旨の一つを等分に受け取れるよう、気を配っていてくれたのだ。その懐の広さに頭が下がる。

ところで、パフォーマンスは大方は英語で行った。旧西側のドイツでは中年くらいまでの人なら日常会話は問題なく出来るのだ。しかし英語だって筆者にとっちゃ外国語だ。なかなか困難なお仕事である事は否めない。それでも回数をこなすうちに度胸もついてきて、ドイツ語を話せない事をギャグにする事さえ出来てきた。お客の皆さんも、アジア人だからとバカにする事もなく、実に温かい笑顔で迎えてくれた。

ところが。

調子に乗ってきたところ、な~んと、老夫婦二人のテーブルにあたってしまった。なんかヤバイかも、と思ったところ、案の定「Sprechen Sie English?(英語話しますか)」の問いに、「Nein(いいえ)」とにべもない答え。

こ、これは…しかし、やるしかない!

知っている単語(主に数字)を総動員し、わからない所は英語で誤魔化し、とにかく何かを喋り続けながらこなしきった。幸い、マジックの現象にインパクトがあったようで、言葉はさほど重要ではなかったようだ。お二人は心から驚いて楽しんでくれていた様子。別の日に他の老夫婦や子供を相手にした事もあったが、なんとか首尾良く行えた。終わった後で、「今の人、英語わかんなかったんだ」と仲間に言ったら、「騒々しい会場だと僕らも同じようなもんさ」と、身振り手振りだけで伝える様子を面白おかしく見せてくれた。

それにしても、ドイツ語で(?)クロースアップ・マジックをやって金を稼いだ日本人なんてそうそういるもんじゃなかろうよ。青年よ、得難い経験をどうも有り難う。君がジェントルな笑顔で押し切ってくれなかったら、アタシャ決してやろうとはしなかっただろう。心から感謝している。