四章 マジック界の困った人々(男子編)

主観300%の幸福な男

シゴトで初めて東北地方に出掛けた時のこと。現地では始めから終わりまで人柄のいい素晴らしき人々に囲まれて、ワシは何様と勘違いしてしまいそうな程丁重なもてなしを受けまくり、実に実に気分良く過ごさせて頂いた。イベントの前日にスタッフ・ゲスト揃っての前夜祭があるという、初っ端から素晴らしい出だし。秋田名物八森ハタハタに始まって、とんぶり、きりたんぽ、海鮮鍋、と、東北の味がどんどん運ばれる。嗚呼、なんと素晴らしい所に来てしまったのだろう!

そんなこんなで、始終、概ね、賑やかしく、気分よろしく宴は進んでいったのだが、唯一、筆者の斜め前座っていた青年だけが曲者だった。一見快活そうな爽やか系に見えなくもなかったが、しばらく聞くともなしに彼の話し振りを窺っていたら、説教臭い口調が鼻についた。なんと言うか、次々運ばれる料理について、我々ゲスト陣に説明をしてくれるのだが、「俺ってば、こんなにもイロイロ知ってるもんね」的態度が始終チラつくのだ。まー一方的に語られる分にはさほど害もないので、和やかな雰囲気の中で筆者自身もふんふんと耳を傾けていたのだが、話が筆者自身の事に及び、この青年、徐々に本性を露にしだした。まずは「こういう出演の前にはどれくらい練習をするのか」と訊かれた。

学生時代、誰に言われずとも死ぬ程自主練習に励んだ筆者は、その反動か、今現在は大の練習嫌い。何分持ちネタは一つきり、長年かけて作り上げ、ある程度場数もこなしてきたので、今では本番直前に数回通すだけで済ませている。それすら自身を追いたてて練習させるのに精神的な労を要す。まーそんな事をいちいち説明しても面白くないだろうから、ばばばっと端折って一週間前に二、三日、と、適当に答えておいた。すると、件の青年、訊きもしないのに「自分の場合」を話し出す。要するに、筆者への質問はそれを話すための導入部で、筆者の答などどうでも良かったワケだ。端折っといて良かった!

続いて「どんな演技をするのか」ときた。こういう質問はよくされるのだが、いつも答に困る。どんな、と言われても、取り出す物品を挙げれば現象の予告になってしまうし、よくあるカテゴリー分類で乱暴に分類してみても、多分相手がピンと来る答にはならない。結局面倒臭くて「まー実際に見て頂戴」と、逃げる。それにしても、これから見ようとする演技の内容を聞いてしまおうとする輩の意図がわからない。結局大して期待もしていないといったところだろうか。その辺の真意は、実際、次の質問あたりになんとなく現れ始めていた。

続いての質問は、「コンテストに出た事があるのか」

これで青年の頭の中がなんだか読めたような気がした。

何でこんな冴えないネェちゃんがゲストなんだ?どうせ大した事やらないぜ。俺様が名前を聞いた事もないヤツだし。でも一応ゲストだから、ひょっとしたらスゴい事すんのかな。ちょっと気になるな。でもやっぱり大した事ないに違いないぜ…ってなかんじだろうか。

実際のところ、彼の「自分の場合」の話を聞いた限りでは、かなり井の中の蛙的経歴。この冴えないネェちゃんが実際に出掛けて行った場所を列挙したら、余りに予想と食い違い過ぎて泡を食ったかもしれない。勿論、自身の出演・出場履歴の披露など、他人にとっても自分にとってもこの上なく退屈で、馬鹿馬鹿しい所業だと知っていたから、そんな事はしなかったけれど。

さて、この青年、イベントが終了して片付けている最中、筆者の演技について物申す、と言ってきた。

現在持っているネタを作るに当たって、いろいろな方からいろいろな声を頂いた事はある。その中で悟ったのは、結局自分の悪い所が一番よくわかっているのは自分だという事だ。誉める人は手放しで誉めるが、手厳しい意見は、余程近しい人でなければわざわざ本人の耳に入れようとはしない。そして実際そういう人の数は多いものではない。一見厳しそうな何かを言った人がいたとしても、単なる「言いたがり」の偏った主観論である事が多く、結局余り役には立たない。だから筆者は、マジックの演技に関して自分から他人に意見を求める事は殆どしないし、逆に他人の演技に意見をする事も滅多にない。卑下するでもなく、傲慢になるでもなく、自分の身の程をよく知っているからだ。

さて、「一言言ってもいい?」と断りを入れる青年。わざわざ自分から申し入れてくるたぁ、なんだかスゴい事を言ってくれるのかと思いきや、終わりに盛り上がりがくるようにBGMのレベル調整をしろ、と言う。まー正論には違いない。が、片付け途中の他人の手を止めさせてまで言うことだろうか?

これまで筆者に何かしら改善点を知らせてきた人は、筆者の演技が良くなるように、善意で敢えて言いにくい事を言ってくれていた。が、彼からは全く善意が感じられないのだ。なんだろう、この匂いは、確か、学生の時にかいだ事がある。そうだ、「先輩風」の匂いだ!

筆者の所属していた学生サークルでは、同ジャンルの演技経験者が後輩の学生に演技指導をするのだが、前の年にやっていたというだけで必ずしもその先輩が指導者として十分な資質を備えているとは限らない。ロクな経験も知識も才能も持ち合わせていないのに、先にやっていたというというだけの理由で師匠面をして威張る輩も出てくるワケだ。幸い筆者の上にはそういったアホーな先輩はいなかったが、年長の後輩が年下の後輩にそんな態度を取っていたのを見た事はある。ああ、アタシャこいつの後輩でなくて良かったよ、と心の底から思ったものである。

「先輩風吹かし」の特徴は、「型」を重んじる、自分自身は実は大した事が出来ないのに、取り敢えず威張る、反省会等では一人一人に何か一つはケチを付けなきゃ気が済まない、てな感じだろうか。勿論、実力を伴いつつ厳しい事を言える子もいたが、そういう人程自分の「身の程」をわかっているものなので、無闇に威張ったりしないし、相手の事を思い遣って意見を言うから、本当に必要な事しか喋らない。ところが先輩風吹かしは「型」や規則からはみ出したものにケチを付けるのが基本なので、それは結局自分の感性に基づいた意見ではなく、なんとなく中身が空っぽだ。中身のない意見を実力のない者から威張り風情で延々聞かされる方はタマランだろう。心から同情する。

で、件の青年からはそんな学生サークル特有の「吹かし」の香りがそこはかとなく漂ってきたのだった。

さて、片付けも終了し、我々スタッフ・ゲストは二次会、三次会へ繰り出した。三次会が終わって引き上げる際、青年、また一発吼えた。

「アンタの演技、学生の匂いがぷんぷんするね」

………………はぃ?

日本特有のマジックの演技スタイルに「学生タッチ」というのがある。大学のマジックサークルに所属する学生に見られる傾向で、大学や地域によって傾向は微妙に異なるのだが、「奇妙なタイミングで不自然に笑い、無意味で大仰なポーズを取って見得を切る」というのが共通する特徴だ。外部の者から見るとかなり異様で、時に爆笑を禁じ得ないのだが、「こうするものだ」と「型」で教え込まれ、それに慣れてしまうと感覚が麻痺してしまい、皆一様にそのスタイルに準ずる事になる。実を言うと筆者はこの学生タッチが大嫌いで、困った事に感覚も麻痺しなかったから、在学中から絶えず違和感を覚えていたのだが、わずかながらその影響は染み付いてしまったらしい。なにしろサークルの先輩というものは代々伝わる「型」しか教えられない人が大半なのだから。先輩に従っていちゃダメだと早くも悟った筆者は、学生時代から工夫を重ねて「学生タッチ」からの脱却を試みはしたし、サークルから抜けてオリジナルの演技を構築していく際には完全脱却を目指していた。なので、今更「学生の匂いがする」、しかも「ぷんぷん」などと強調されては甚だ心外である。
て言うか、彼は何のためにこんな事を言ったのだろう?仮に彼の言う事が正しいとして、それを本人に伝えてナンになる?悪い事だからやめた方がいいとでも言いたいのか?否。恐らく彼は自分の「鑑識眼」を披露したかっただけである。彼の「意見」が何一つ本人のためにならない事や、それどころかそれを聞いた本人が気を悪くするかもしれない事などどうでもいいのだ。
てか、そうやって先輩風を吹かし、「学生の匂い」を振り撒いているのはむしろアンタの方じゃないかい?

彼は更にもう一発吼えた。

「でもって○○さんの演技にホント似てるわ」

ぇと…。彼はわかっていただろうか。この二発目の発言で彼が「ニセモノ」だと完璧にバレたという事が…。全く、こんなど素人な意見、実に久しぶりに聞いた気がした。
 ここで引き合いに出された方は、筆者より一回り年上の女性マジシャンで、筆者と同じく和扇子を使った演技をされる。が、使っている扇子の構造が異なるので、現象や技法はまるで違う。また、BGM、衣装、背景等々、彼女は和の雰囲気を前面に押し出す事を意識しているようなのに対し、筆者の場合、たまたま使っているものの一部が和扇子だというだけで、衣装は洋装、BGMはロックンロールとジャズ、扇子と和傘以外に和の要素は一切取り入れていない。筆者の演技を「和風」「和妻」と括ろうとする人を「またまたそういう勘違いをするアホーがおった」と鼻で笑う現実がある。実際和妻には興味を持った事もないので、和妻の知識は一切なく、使っている技法を敢えて分類するなら、全て西洋風だと言っても構わない。

そんなワケだから、彼女と筆者の演技は、和扇子がモチーフの一つであるという以外は何の共通点もなく、コンセプトからして根本的に違う。ある程度マジックの経験がある人ならそんなことはわかるハズだし、たとえマジックの素人でも勘のいい人なら雰囲気がまるで違う事を感じ取れるハズだ。そもそも筆者は、ことマジックに関して他人の演技をつぶさに観察して何かを取り入れようとしたり、本やビデオを研究しつくすなんてまともな研究活動はした事もないずぼらな御仁である。彼女の演技は見た事があったが、それを真似ようと思った事など一度もない。それを「ホント似てる」と臆面もなく決め付けてしまうとは、彼の「鑑識眼」も実に怪しいものだ。また、オリジナリティも重要な要素の一つであるパフォーマンスに打ち込んでいる者に向かって、その演技が他人のモノに似ていると述べ立てる事がどれだけその人を不快にさせるか、なんて事は彼にとってはやはりどうでもいい事なのだろう。て言うか、この一言で自分のアサハカさを露呈した事実にすら、彼自身、全く気付いていないのだろうけれど。
 彼は懲りずに吼え続けた。

「アンタ、マジックの事しか考えていないでしょ?」

………………はぃ?

ぇと、あの~、一体全体、何故にそのような結論をお導きになったのでしょうか???アタシはアナタとそれ程突っ込んだ会話をした覚えがないし、自分の経歴や考え方をぺらぺら吹聴した覚えもありません。仮にアナタがココに述べた考えが正しいとして、アタシのパフォーマンスを見ただけでその結論を引き出したとしたら、アナタの自認する「鑑識眼」は実際のところ、とてつもなく素晴らしいものでしょう。が、残念ながらアナタ、思いっきり、的を外しています!弓道で言うなら的の中心から百メートル以上外れています!ここまで外せると逆に感心してしまいます!スゴい!

実のところ、筆者程普段マジックから隔絶した暮らしをしているマジシャンも珍しいくらいなのだ。少し前に筆者に取材をしたドイツ人記者は、筆者の答が余りにも拍子抜けする内容だったため、少々面食らっていた。ゴメンね、記事にしにくいでしょ、と、取材されている本人が同情する始末。他のマジシャンの取材記事を読むと、何歳から始めて、こんな経歴を経て、マジックが大好きで将来はマジシャンになるしかない、と思って、なんて事がつらつら書いてある。しかし筆者の喋る事と言ったら「マジックを始めたきっかけ?友達につられてたまたまマジックサークルに入ってしまっただけ」「やりたい事は他にもイロイロあって、マジックはそのウチの一つでしかない」「今は何処のマジックサークルにも所属していないし、しようとも思わない」「憧れのマジシャンなんて別にいないしぃ」「マジックが好きっていうよりも、取り敢えず完成形を極めたくてだらだら惰性で続けているだけですかね?」「プロになる気?ないよ」と、ことごとく先方の予想を裏切るような内容ばかり。

さて、上の問いに対して「イヤ、別にそうでもないけどね」と筆者が答えたものの、青年は聞いちゃいない。そして筆者が「マジックの事しか頭にないマジック馬鹿」という前提で更に吼え続ける。

「本を読むといいよ。本はウソつかないから。」

またしても、………………はぃ?

えーこのワタクシ、まるで読書もしないようなバカ娘に見えましたか?(それともマジックの本を読め、と言ったのだろうか?しかし人の事をマジック馬鹿呼ばわりしておきながら、そういう意図で発言するとは考え難い。マジック馬鹿なら蔵書の数もものスゴいはずだ)う~む、この外しまくりの「鑑識眼」と言い、相手が何を言おうが聴く耳持たず、自らの考える事が全て真実だと思い込める単純さと言い、なんだかシヤワセなお方だなー。これ程主観のみで生きられる人も珍しい。

しかも、何?「本はウソつかない」?そんな乱暴な一般論をでっち上げちゃっていいんですか?イカサマを述べ立てた本ナゾ世の中にゴマンとあると思いますが。ニイちゃん、アンタ自身は読書しているんかいな?あらゆるジャンルの本を網羅した上でこのように言えるのだとしたら、余程お目出度い人に違いない…。

ところで、この青年に説教をされたのは何も筆者だけではない。スタッフの方に、あのニイちゃんに、訊きもしないのにすっげー的ハズレな素人意見を聞かされた、と言ったら、アイツ、オレにも説教するもんな、とおっしゃる。件の青年とは一回りも年の違う方である。イヤ、相手が年上でも的を射た意見を言って差し上げるならそれはそれで立派な行為だが、彼の場合、単にエバりたいだけのように見える。

また、この青年は、別のゲスト出演者にも「見得の切り方」などを切々とご指導なさったそうである。イヤハヤ。実に節操なく説教して回っているワケだ。スキモノだなー。

一万歩くらい譲って、彼のお説教が的外れでも良いとしよう。良いとしてもだ、人に何かしら他人に指南出来る程の実力が彼にはあるのだろうか?暴風警報を出さなきゃならない程先輩風を吹かせてはいるものの、果たして先輩として威張りクサっても問題ないような力があるのだろうか?

実は彼もイベントの中で演技を披露していた。ゲストショーとしてショーアップされた場ではなく、誰もが気軽に出演してOKというプログラムの中で、一応トリの位置で出てきていたのだが、はっきり言って、鮮烈な印象は何も残っていなかった。どころか、殆ど消えかかった記憶から無理矢理「印象」たるものを探し出してみると、アンタ客の目線で自分の演技を見つめた事がありますか?と思わず突っ込みたくなる程、主観に走った演技だった気がする(彼の性格が如実に演技に現れているワケだ!)。特に鮮烈ではなくても、丁寧な作りの演技なら、それなりに良い印象が頭に残るものだが、彼の演技は手順に緩急がなく、ただだらだら続くだけの退屈な演出だったような…。一箇所だけでもホぅ!と感心するような場面があれば救いがあるのだけど、そういったものもなかった気がする。

う~む。このような方がワタクシめに「ご意見」を発してくださっていたのか!

そうそう、そう言えば、人のBGMについて説教をタレていた割には、彼の使っていたモノは選曲も編集もかなりイマイチだった。妖艶な美女を起用した有名なCMの曲を使っていたのだが、人々に想起されるイメージが固まってしまっている曲はなるべくなら使用しない方がいいし、使うとしても固定されたイメージとパフォーマーのイメージとのズレが少ない方がいい。この点で彼は大いに失敗していた。それに…曲の繋ぎが…あの…レコードやカセットテープの時代だってもっとマトモな音を作っていたよ?
思い出せば思い出す程、「こんなヤツにあんなエラそな事を言われていたのか!」とむしろ感動すら覚えてしまう程、披露された作品の完成度と発言する時の態度のギャップが大きかったのである。イヤ、ひょっとしたら本人はものスゴく素晴らしい演技を披露しているつもりなのかもしれない。そうだ、きっとそうだ!でなきゃあんなエラそな態度に出られるワケがない!

人に説教をタレたいなら、自らの事を棚に上げないでも済むそれ相応の実力を体現出来るようにするか、さもなくば説教で語るレベル以前の実力は人前で披露しない事である。ある知人が、評論家を気取るなら演技はするな、と言っていたが、まさにそれである。評論するには知識が必要で、知識があるならそれを体現する実力もある程度備わっていようが、知識と実践のレベルは必ずしも符合する必要はない。それを悟って評論家に徹する人もいるが、マジシャンの中には何故かやりたがり評論家が多いのだな…。慰み程度のほほえましい小ネタだったら全然問題はないんだけど。

が、いかんせん、この青年の場合、恐らく自身がかなり立派な表現者だと思い込んでいるのだから、どうしようもない。きっと一生かかっても現実に目覚めないだろうよ。
後々別の方面から彼の噂を何度となく耳にしたのだが、「空威張りが大好きで、他人に気が使えず、客観的な視点を全く持たず、自分が立派だと思い込んでいる」とした筆者の分析結果は全くもって外れていなかったようだ。

こんな彼なのだが、よせばいいのに脱サラしてプロマジシャンになろうとしているらしい。いかんせん他人に気が使えない人には、客を楽しませるという視点が欠けているし、ロクなマネージメントが出来るハズがない。実際周りの人に大いに迷惑をかけまくっているのだとか。てか、迷惑を掛け捲っているという事実に気付いていない可能性も考えられるし。先行きは実に不穏である。