千切りキャベツの思い出

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子供の頃、千切りキャベツが嫌いだった。筆者のウチのキャベツは千切りと言いつつもそれは「百切り」状態であり、非常に不味かったからだ。外食は余りしないウチだったので、他所で「ほんもの」に巡り会う事もなく、「千切り」キャベツとはこのように太い形状でかつ不味いものと思い込んで育ってしまった。

高校の家庭科の授業で千切りキャベツのテストがあった。「効率の良い作業方」を考え出す事にかけては人一倍長けていた筆者も、そもそも千切りキャベツの定義を誤って認識していたため、ここでは何か勘違いしたような事をしてしまう。ひたすら重ね合わせたキャベツをざくざく百切り状態にし、制限時間内には誰よりもたくさんの「刻んだキャベツ」を生み出していた。隣でうす~く重ねたキャベツを実に細かく「千切り」に刻んでいる級友を見て、「アタシの勝ち」(←バカ)とか思っていたりしたのだった。それぞれの出来をチェックしに来た講師曰く、「量は合格」。しかし、この時点でも、まだ本物の千切りキャベツがどのようなものなのか、きちんと理解してはいなかった。

ところで、筆者は山小屋などの宿泊施設に住み込みで働きに行くことがよくある。携わるのは厨房仕事が主なのだが、こういった所では客の食事の付け合わせとして必ずと言って良いほど「千切りキャベツ」が供されるのだ。一箇所だけ「キャベ2」というベタな商品名の自動千切り機を備えていた所があったが、その他では包丁とスライサー併用でまかなっていた。

こういった厨房仕事の場合、客に出した食事の残った部分が賄い食となる場合が多い。千切りキャベツがちょうど切り良く終わる事はまずないので、これは毎日食べる事になる。山小屋バイト初期の頃に、これを食べてみたところ、なんと、美味いのだ!よく見るとウチのキャベツとは形状が明らかに違う。

2-3日して刻み物も任されるようになり、ハイ、じゃあ次はキャべ千ね、と言われ、見よう見まねで他の人がやっているのと同じような動作で切ってみると、難しそうに見えたが、な~んと、意外にも容易くできるではないか!なんだか面白いように細く綺麗に切れるのだ。勿論それまでにも「キャべ千」もどきはやっていた。しかし、実際のところ、それは「キャべ百」であった。包丁の音からして、「ととととと」というリズミカルなものではなく、「ざく、ざく、ざく」と、のろくて重いものだったのだ。

ところが、ウチに帰ってから同じことをしようとしたら、何故だか出来なかった。細く刻もうとすると、するっと横にそれて空振りするのだ。何故?答えはウチの包丁の切れ味が良くなかったからだ。切れ味が悪いと細く刻めない。また、押し潰しながら切る事になるので、切り口がスパッと綺麗に出ない。こうなると、食感が命の千切りキャベツは、こうも変わるのかと思うほど不味くなってしまうのだ。

ウチで美味い千切りキャベツを食べるためにはまず包丁から揃えなければならないのか!その事実に気付いた筆者は、刃物マニアの父が(こういう人がいる家庭に、何故切れ味の良い包丁がないのか不思議である…)岐阜県関の刃物市に出かける時に、自分専用の鋼の牛刀を所望したのだった。ウチを出た時には勿論これを持って出て、今日では数々の千切り野菜メニューをクリエイトするに至っている。

余談であるが、とある知り合いのお宅にお邪魔した時、時間も時間で「夕飯食べてく?」と言って頂き、ご馳走になったのだが、普段お勝手をしないお嬢様な彼女が作ってくれたのは、家庭科の教科書に出てきそうなハンバーグステーキだった。付け合わせにはキャベツ。「私、『キャベツの千切り』って余り好きじゃないんだわ」と彼女が言うのも当然、それはかつてウチで供されていたのと同じ、「百切りキャベツ」だったのだから…。

2002/12