カナダ
第1節 カナダのフツーの人々

賢人はいずこ

カナダ人の知人で、何くれとなく世話を焼いてくれる人がいるのだが、この人には困った癖がある。彼は自分の事を「頭が良い」と思っていて、それを事あるごとに吹聴しまくるのだ。「僕の事、頭良いと思わない?」と、ストレートに訊かれた事もある。

こっちの人の頭には謙譲の美徳なんて概念は存在しないから、こういう風に自分や家族の事を自慢する人はたくさんいる。誇りを持って生きる事は素晴らしいし、それが適度であれば微笑ましい。しかし、彼のように、こうも露骨にかつ繰り返し自画自賛されると、むしろ滑稽だ(だからこんな所に面白可笑しく書かれてしまうのだよ)。

彼のパソコンにはIQテストができるソフトが入っているそうだが、彼の友人の殆どがそれを試していて、そして彼らの殆どが標準以上の成績(120ぐらい)なのだそうだ。「頭の悪い人なんかと一緒に暮らせないからね」と言い、彼は妻や息子達の事も「すんごく賢いんだ」と、自慢してみせる。

ある時、彼の友人の奥さんがこのIQテストの事を聞いて、自分も受けてみたいと言ったそうだ。彼によれば、彼女はモデル並みの美人だが、頭が弱いという事だった。テストのスコアを受け取った彼女は、「一体どれぐらいの点数が標準なの?」と訊ねた。彼女のスコアは90点台で、これは標準よりちょっと劣るレベルらしい。彼は真実を伝えて彼女が傷つく事を恐れ、「何が標準って事はないんだよ、これは競争じゃないからね」と、彼女を言いくるめた。すると彼女はこう言ったそうだ。「普通テストは百点満点よね。だったら私は90点台だから、ほぼパーフェクトだわ!」

彼女の喜びに水を指さなかった気遣いはまァ良いとして、この事を笑い話として人々に話して回るというのは如何なものか。彼女には決して話さない、と言ってはいたが、人の口から口を伝っていつか本人の耳に入ってしまう事がないとは言えない。彼にとってこの話は「自分の賢さ」を際立たせるための材料でしかない。そういう事なのだ。

「頭良いと思わない?」と問われた後、筆者は「さあね、私には今んとこ判別できないけど」と言っておいた。

しかし。

彼は本当に頭の良い人なのかもしれない。だが、賢人ではない。

確か、ソクラテスだったか、「無知の知」と言っていたのは。人は賢くなればなるほど、まだまだ足りないものがある事を知る。「自分が賢い」などと言っているうちは、まだ「賢い」の手前にいるに過ぎないのだ。この論理にのっとれば、本当に頭の良い人は「自分は頭が良い」などと吹聴して回らないはずだし、度が過ぎれば見苦しい事はわかっていよう。また、その人が本当に賢いならば、本人が言わずとも周りがそれを認めるだろう。また、当人もその賢明さを使って先へ進むのに忙しく、そんな事を言って回る暇はないと思うのだが。

IQテストで良い成績を上げたと思っている彼女は、ひょっとしたらこの事を友人に言って回り、本人の知らない所で失笑を買っているのかもしれない。そうだとしても、彼のしている事も、実は彼女の場合と殆ど変わりはしない。違うのはスコアの高低だけである。それだけの事だ。