韓国
第4節 韓国語あれこれ

韓国語教室通いの功罪

語学の学習に関して、「何年くらい勉強したの?」と訊かれる事は多々あるが、つくづく愚問だなァ、と思う事しきり。効率の悪いやり方をしていれば、何年経っても話せるようにはならないし、集中すればごくごく短期間に日常会話レベルに到達する事も可能だ。勿論、効率が良い方法ならば長く続ければ続けるほど実力は向上するだろうが、趣味の語学学習者の大半は効率悪くダラダラやっているものである(と、自己を振り返る)。

前に書いたように、筆者の韓国語学習はカナダで韓国人に出会った事に始まる。それは1997年だったから、2004年現在から、かれこれ7年前の事だ。「何年前から韓国語をやっているのか」と問われれば、「7年」と答えざるを得ないが、「7年もやっていてそんなにヘタなのか~!」と感心されるのも癪なので、ごちゃごちゃと言い訳しながらお茶を濁している。実際のところ、7年の間、殆ど何もやっていなかったのだ!ヘタで当たり前である(開き直ってどうする?)。

さて、この頃何かと韓国づいており、韓国プチリピーターとなりつつある筆者は、度々韓国へ行くつもりなら、もちっと喋れるようにせんとかんなァ、という想いを日に日に強くさせていた。が、1人きりで本を眺めているだけではなかなか頭に入らないし、「会話」の勉強は不可能だ。ネイティブと話さなければ!が、ネイティブの知り合いの殆どは英語か日本語が喋れる人々ばかりなので、わざわざ不自由な韓国語で会話をする必然性はない。

これはもう、何処かに通って集中的に勉強「させる」しかあるまい!

初めは「タダで通える」という、在日向けの講座に潜り込もうとしたのだが、韓国籍がないと入れて貰えないらしい。幼い頃から在日の方々と交流のあった友人が、「知り合いのバアちゃんが、在日のふりして入ってもわかんないって言ってたよ」と良からぬ情報を流してきたものの、良からぬ事はあまりしたくないものである。

そんなこんなで半年ほど過ぎ、3月のある日、ふと、街中の文化センターに色々と社会人向けの講座がある事を思い出した。調べてみると、韓国語講座、あるではないか!さすが某テレビドラマブームのさなか!半年の講座で、授業料は少々高め。が、金を払えば勿体無いと思って勉強せざるを得んだろう、と半ば締め切り効果じみたものを期待して、筆者にしちゃぁ少々お高い買い物に大枚をはたいてみた。

ある程度の事は勉強してあったので、一からやり直しちゃタルいだろうと思い、少々不安はあったものの、中級クラスに飛び入りする事にした。見学に行った時、講師の方も「そんなに難しい事はやりませんから」とかなり気楽におっしゃったので安心していたが、なんと言うか、まァ、思っていた以上に楽々ついていけるので面食らった。そして教室でソンセンニムの肉声で説明を聞く事により、本を読んでぼんやり頭に入っていたものが、鮮明な形で新たに焼き付けられていくのだ!意外にちゃんと勉強していたのだなァ、と我ながら感心するのもさる事ながら、教室通いの予想以上の効果に感服!

が。

筆者はこの講座を学習の起爆剤として活用し、1期だけ通ってすぐにやめるつもりでいたのだが、ここに何年も通っているという方が結構いるようだった。見学に行った時、そういう方に進み具合はどんな感じか訊いたのだが、結構年配のその方は、こんな事を言った。

「私なんか、何年もやっているけど全然覚わらんね…」

ご謙遜か?

いやいや。確かに、何年もやっているだけあってもの凄く難しい作文をなさる。

が。それを読み上げる時の発音ときたら、空港のグランドホステス並に酷いものである。完全な日本語訛り。日本語のイントネーション。間違いなく、日本語の素養のないネイティブには理解して貰えないだろう。会話をする事も難しそうだ。

この周辺の方々が、講座の始まる前にこんな事を呟いているのを小耳に挟んだ。韓国映画を見ますか、という話題の中で、

「やっぱりネイティブの発音はわからんね。日本人の韓国語はよくわかるが。」

………。

う、う~ん、英語教育の二の足を踏んでいる気が、もの凄くする…。とあるプロの英語の翻訳家の方が、英会話はからきしダメだったという話も思い出してしまった。

この方の勉強の目的は、恐らく知識の吸収で、会話はさして重要ではないのかもしれない。が、長い年月かけて確実に知識をものにしてきたのだから、ちょっと集中して訓練すれば間違いなく会話ができるようになるであろうに、非常に勿体無い気がした。

また、文化センターには初級クラスもあるので、そちらから中級に上がってきた人も何人かいる。その方々が言うには、「中級クラスは難しいです」

え?そうなの?

てか、アナタ方半年間、一体何やってたんだ?恐らく、講座に出席する時以外は殆ど教科書を開く事もなく、ぼんやり通っていただけなのではないか。週1回、高々1時間半の講義のみでは、ろくな運用能力がつくとは思えない。

もっとも、文化センターの講座に試験はないので、ハングル検定を受けるのでもなければ、なかなか積極的に勉強時間を作れるものではないのだろう。ましてや社会人は「忙しい」。とは言え、7年間、殆ど何もせずにダラダラ過ごして来た者に簡単に追い越されて、いいんかい、アンタ達?それとも、ひょっとしてアタシって語学の天才?と、思わず愚かな勘違いをしてしまいそうなほどに講座参加者の人々の意識が低いのにがっかりした次第である。

だって、タクシーの運転手と「会話」をしたと言ったら「テダネ~!(凄い!)」とソンセンニムが皆に公言するほどなのだ…。コミュニケーションを楽しんだって程度で、たいした事は話していないし、きっと他の人だってできるよ…。

実際のところ、筆者は決して語学の天才などではなく、単に神経が太くて、文法が間違っていようが語彙がなかろうが、知ってる知識を総動員して強引に事を押し進め、「会話」をしたような気になれるだけである。ある意味長所だろうか。

サバイバル技術、である気もする